ご挨拶
相対する組合せで、双方を取り扱うお店は全国でも珍しいですが、弊店の歩みは日本人の食生活に欠かせない「米と茶」が巡り合わせてくれたものでございます。お客様と京都の街、そして和を尊ぶ日本人の心に育てていただきました。
お相手の幸せは、自身にとっての幸せ。幸せや感謝の気持ちはどこからともなく生まれてくるもの。我々は商品に心を添えることを忘れず、先人の教えに学び厳選した材料と共にお客様の更なるご期待とご信頼にお応えできるよう、「誠実」にものづくりを重ねてまいります。

「米と茶」が巡り会わせてくれたもの
永楽屋は、一と口椎茸に代表される佃煮、京のおぶみそ、京のおばんざいなどの「からいもの」から、琥珀 柚子に代表される琥珀、焼菓子、羊羹などの「あまいもの」まで、自慢の品を数多くご用意しております。
弊店は食の楽しみが少なかった戦後の混乱期に創業し、限られたなかから、できる限りの食の彩りをご提供できるよう誠実に努めてまいりました。そうして長い時間をかけて、お客様にお楽しみいただき育てていただいた「からいもの」と「あまいもの」。一見すると相対する組合せですが、どちらも日本人に欠かすことのできない「米と茶」によく合う食の彩りです。
素材へのこだわり
かつて都であった京都には、一年を通して四季折々の旬の食材が全国から集められました。そしてそれらは洗練された感性と技術によって、豊かな食文化として実を結びました。
永楽屋の扱う品々にも、全国各地から集められた選りすぐりの素材が使用されています。厳選された良質な素材を使用することはもちろん、気候やその時々のわずかな違いを見極めることで、美味しく、そして安心してお召し上がりいただけるよう努めてまいります。
国産 原木栽培の小粒冬茹椎茸
冬茹(どんこ)とは、寒い時期にゆっくりと育った椎茸のこと。ゆっくりと育った椎茸は肉厚で濃厚な味わいになります。その美味しさは日本の気候が育む自然の恵みです。永楽屋は国産の冬茹の中でも一口サイズの小粒冬茹を使用しています。
椎茸の栽培はこれまで、自然環境のなかで椎茸菌を培養する「原木栽培」が主でしたが、重労働で生産が安定しないことから後継者が減少し、空調管理された施設で培養する「菌床栽培」が増えてきました。いまや貴重となった原木栽培の椎茸ですが、その食感と香りは、森の風味そのもの。永楽屋は原木栽培の冬茹椎茸の旨味にこだわり続けます。
国産 朝倉山椒
広く使われている山椒に葡萄山椒がありますが、永楽屋では朝倉山椒を使用しています。
朝倉山椒は収穫量がとても少なく貴重な山椒です。しかし佃煮にしたときの山椒特有の香りが断然よく、実が大きく柔らかいのが特徴です。辛味も後まで残らず、純粋な山椒の風味をお楽しみいただけます。
徳島県産 木頭柚子
徳島県木頭地区。河童伝説が残るほどの清流、那賀川のさらに上流にある自然豊かな地です。寒暖の差が大きく降水量の多い、香り高い柚子が育つ気候風土で知られています。木頭で育った柚子はその品質の高さから特別に銘が与えられ、「木頭柚子」と呼ばれています。
永楽屋では現地に足を運び、香りを確かめ、触り、観て、直接仕入れた木頭柚子のみを使用しています。
誠実なものづくり
変わらず、そして変わり続けること
永楽屋には、職人たちによって長い年月を経て培われてきた技術があります。素材のぬくもりを手先で感じ取り、一品一品に真心を込める妙技。それは単なる製法ではなく、永楽屋がものづくりにかける想いそのものだと考えています。
大切なのは、いつの時代も「おいしい」と感じていただける商品を作り、お客様のご期待に応え続けること。そのためには、伝統を重んじながらも、革新を続けなければなりません。
本質を見極め、基盤を変えることなく、絶えず工夫し、新たな可能性を見出していく。この姿勢がおのずと上質を生むと信じています。
変わらないために変わり続ける。
それが永楽屋の志す「誠実なものづくり」です。
永楽屋のあゆみ
受け継いだのは、商人としての「誠実さ」
永楽屋のあゆみ、それは創業者である齋田永三郎の商人としてのあゆみからはじまります。15歳にして商人としての道を志し、19歳でたった4坪の小さな商店をかまえた永三郎は、やがて紡績業を展開、国内外に拠点をおくまでに育て上げます。その後、上海事変に伴う事業所撤退を経て、故郷京都に戻った永三郎に転機が訪れたのは第二次世界大戦後の混乱期。あらゆる物資が不足し人々の生活すら困窮するなか、手に入れやすい食材を使って、いかにして人々の心を満たす食を届けるかに奮闘します。そうして昭和21年、現在本店がある河原町四条で永楽屋は産声を上げたのです。
永三郎は料理人でも職人でもなく、商売の道を志した商人でした。しかし移り行く時代のなかで、商人が商売を通して何を志し何を届けるべきかという想いは、ものづくりに誠実に取り組む姿勢となって、今も永楽屋に強く受け継がれています。
年表
年 | 出来事 | |
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1911 |
齋田永三郎、齋田永三郎商店を創業 場所は大阪市内の約4坪の借家。紆余曲折ありつつも、メリヤス類の製造・販売を中心に事業を展開。複数の事業所、上海に出張所を持つに至る。 |
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1933 |
齋田永三郎商店が閉店 上海事変に伴う事業所撤退を経て、閉店。やがて故郷京都へ戻り、料理店を開店させる。 |
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1946 |
永楽屋 創業 場所は現在本店がある河原町四条。店内には佃煮や干物などを扱う食料品を扱う「食品部」と、ビスケットやキャンディーなどを扱う「菓子部」があり、それぞれ壁で区切られていた。また菓子部の2階には「喫茶部」も設置された。 |
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1953 |
株式会社永楽屋 設立 事業発展に伴い法人に改組。 「一と口椎茸」製造開始 有数の乾椎茸問屋より、小粒の冬茹椎茸の用い方について相談を受けたことがきっかけ。 |
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1964 |
本社および工場を花見小路新門前上ルへ移転 |
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1966 |
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1968 |
本社および工場を山科に移転 当時は周辺に目印がなかったことから、本社前の道には「永楽屋通」との呼び名がついた。 |
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1969 |
永三郎、死去 |
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1976 |
阪急うめだ本店、高島屋京都店、河原町四条阪急に出店 |
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1977 |
「大判おはぎ」製造開始 「大きくても、味や品の良さが保たれたものを」と試行錯誤を重ね、できあがる。 本店 改築開店 佃煮と菓子の売場を分けていた壁を取り払い、現在のかたちに。大きなトップウィンドウは当時、食品を扱う店としては斬新で、商業建築の分野で話題になった。 |
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1983 |
「柚子こゞり」製造開始 可愛らしい印象の琥珀菓子が多いなか、宝石(琥珀)のごとく、姿かたちにこだわり抜き、気品ある美しさと味わいに仕上げられた。妥協せずものづくりに取り組む姿勢は、以後の商品開発にも強く受け継がれる。 |
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1987 | ||
1993 | ||
1997 |
表面の白濁やヒビを許さぬ「琥珀」、具材によって味噌の配合にこだわった「京のおぶみそ」。 |
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2007 |
「やさい昆布」製造開始 すべて国産の素材にこだわりを持ち、つくり上げる 「柚子こゞり」京ブランド食品に認定 |
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2008 |
「琥珀紅玉」製造開始 ものづくりに対する姿勢は受け継ぎながら、様々な新しい試みのなかでつくり上げる。 |
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2013 |
京都市さまより、町並みと調和し思わずお店に入りたくなる魅力的な屋外広告物として、本店と室町店の2店舗を表彰いただきました。 |
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2014 |
より皆様におくつろぎ頂けますよう、設えや空間にもこだわり増床し全面改装致しました。 |
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2015 |
取組の制度化と利用実績が認められ、京都府知事より「京都モデル」ワーク・ライフ・バランス認証企業に認定されました。 |
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2016 |
ゆったりと楽しくお買い物頂けますよう改装致しました。店頭のウィンドウや柱などは昔の面影も大切にとの考えから、変わらず残しております。 |
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京都府さまより平成28年度(第10回)「京都府子育て支援表彰」(職場環境づくり部門)にてご表彰いただきました。 |